2017年12月10日 午前6:59分産まれ 3014g 龍舞(りゅうま誕生)
三男として産まれ、そしてダウン症として産まれたりゅうまについての記録を残しつつ、ダウン症についての情報交換の場として
広めていけたらと思いブログを立ち上げました。
同じダウン症、トリソミー21のお子様をもつママ、パパどうぞよろしくお願いします。
ダウン症ってお腹の中で指摘がありましたか?
私は四回目の妊娠で年齢は41歳の時にりゅうまを授かりました。
上の三人はなんの問題もなく完母でした。
そしてダウン症であるりゅうまも何も問題はないといえばなかったです。
というのも、全て同じ病院で出産したのですが、今までになかった心臓の検査があるというお知らせに仕事の忙しさで
すっかり忘れて受診しませんでした。
その他、体重もダウン症によくある低体重ではなく3014gで生まれました。
出産直後どうでしたか?何か変化はありましたか?
ダウン症の赤ちゃんは助産師や医師がとりあげるとすぐにわかるそうです。
なにが違うのか?
まず、産声が弱い、泣かない、手足をピンピンして産まれてこない。クターっとしている。
中には心臓疾患をもつ可能性もかなり多くあるとのことで、肌の色が紫色になり、チアノーゼが出ている状態になるので
そんな時は、大きな病院でまず処置をすぐに受け、さらに染色体異常を疑われ、検査をし、告知を受けるということがあるようです。
りゅうまは、産声を上げ、(上の三人に比べるとなく量も時間も少なかった)体重計の上で手足を動かしてだれもダウン症と気づかれることは
ありませんでした。
インスピレーション
お腹の中で何か感じるものがあったのは確かです。
今まで3人産んできて、何も考えず過ごしてきた妊婦生活でしたが、4人目はなにかどこか不安を感じました。
まあ年齢的なこともあるのかもしれませんけれど、急にふいに妊娠しました。
なぜ?今?なんのため?
って思う気持ちがしっくりきます。
そして次男がいいました。


どうやら同じ学校のひまわりさんにそういうお友達がいて、すごくみんなに人気で可愛がられていたので、そういったのだと思います。
それにしてもひやっとしました。
ダウン症に気づいていたかいないか。病院の空気は?
出産後、主人が

はいはい。来ました。私もなんとなく、鼻ひく!!って思いましたので否定はしないですが、

そういうふうに言い聞かせました。
しかし、入院中、今まで母乳でやりたいといえば、自由に夜あずけてくれていた授乳を
なかなかOk出してくれない。
産まれた直後以降、りゅうまは泣かなくなっていてほぼ寝ていたので、起こして飲むようにしなくてはいけなかったのもありますが、もう子育てに慣れていた私は母乳で育てたかったので、何度もお願いしました。
ダウン症の赤ちゃんは筋力が弱く、口の吸引力も弱いので通常母乳は吸えず、ミルクを飲むのも
困難な子もいるようです。りゅうまはなんとか母乳を飲めていましたが、今まで子と比べると
明らかに飲むのがヘタですぐ疲れて寝るという感じでした。
まず、うちの子ならすごい勢いで泣くはずなのにそれがないのが本当に違和感でした。
時々巡回にくる助産師さんが手のひらを何度も見て心音を確かめていました。
あまりに長いので

と訪ねたら
と訪ねたら
すごく焦ったようなかんじで

そう応えました。
今思えば、ダウン症の特徴でもあるマスカケ線かどうかを確かめていたのでしょう。
りゅうまは心臓に疾患もなかったので、顔つきのみで疑われました。
はっきり疑われたのは一ヶ月検診のときでした。
退院時には分かっていたのかもしれませんが、命に別状もいので言うタイミングを母性が
でて愛情がでてきたら告知するということも最近ではあるようです。
ダウン症 告知 疑い
告知ではなく疑いですね。
一ヶ月検診の最後に、
顔つきがね。少し気になるんだよ。
はい!きた!
そう思いました。

先生はテンション低めでした。
今までの出産はにこにこ優しく

という感じだった先生が明らかに違います。
でもね、今思えば、ダウン症や障害があるからこそ、その言葉いや、もっと踏み込んだ言葉を
かけてもらえればよかったなと思います。
病院はあくまで無事に産ませることだそうで、それ以外のことはそれ以外の病因や施設で対応してもらいましょうというスタンスなんだそうです。
入院中、のりのりで助産師や先生に話しかけていた自分がとてもはずかしく寂しく思える瞬間でも
ありました。
ダウン症 疑いを主人に報告。
頭が真っ白になりましたが、我が家は自営でちょうどその頃繁忙期でしたので、帰宅すると
主人が仕事に追われていました。
今は言えない。。。
頭が真っ白のまま、元気な自分を振る舞い、なおかつ子供と会話、そしていつもの家事へ。
母強し。
そして夜全てが落ち着いてから

主人



その後は悲しくて涙をこらえながら、自分なりに調べたダウン症の疾患や、寿命などのことを
考えて寂しい気持ちになったのを覚えています。
本当のダウン症 告知。
顔つきの疑いという情報をもとに、近くの病院でりゅうまは採血をしました。
それから結果がでるまでの一ヶ月は長かったです。
顔つきについて先生に聞くと、なんだかマニュアルのように

そこからダウン症の顔つきの検索の嵐が始まり、いろんなダウン症ブログを見て、違う、そうかも?を繰り返し、やっとその日を迎えました。
扉をあけると、紙がありました。染色体の結果を知らせる紙です。
先生が結果を言う前に、21番に3本あるのをさらっと見てしまい、あ、確定です!!
と自分に言いました。
それからダウン症についての説明と告知を受けました。
一ヶ月の間にほぼ覚悟が決まっていたので、涙することはもうありませんでした。
がんばるぞ!りゅうちゃん!!
それだけです。
天井を眺めるりゅうちゃん。
次回へつづく・・